近年、IT技術の進化や法改正に伴い、あらゆる業界の様々な企業で「働き方改革」が進められていますが、中でも日本国内の製薬企業(特に全国に配置されているMR職や臨床開発職などの数千人規模のフロントライン)における働き方の激変ぶりは、ひときわ劇的であり、他業界と比べても5年・10年先の未来を先行して走っています。
コロナ禍という未曾有のパンデミックを契機に、かつてのMRの日常であった「朝から晩まで病院の廊下や医局の前に何時間も立って常駐し(いわゆる出待ち)、接待や深夜の飲み会で関係を泥臭く築く」という、昭和から平成にかけての非効率で属人的な昭和の営業スタイルは、完全に過去の遺物として跡形もなく消え去りました。
現在、フルリモートワークや直行直帰というスタイルが当たり前の前提として定着した大手外資系製薬企業や内資トップメーカーでは、どのような全く新しい社内の自由な風土(多様な働き方)が生まれ、そして同時に、目に見えない次元のどんな新たな課題(孤独や組織の分断)に直面しているのでしょうか。
今回は、最新の最先端の働き方改革の成功事例と、リモート時代の組織と人の心をマネジメントするリアルな裏側に深く迫ります。
1. 物理的なオフィスの完全撤廃と「ABW(Activity Based Working)」という新しい自由
全国の営業所の統廃合とフリーアドレスの日常
現在、ある大手外資系メーカーや、業績を伸ばす内資の中堅企業において最も顕著な物理的変化が、「全国各地に点在していた営業所(支店)の極端な統廃合・閉鎖と、残されたオフィスの完全フリーアドレス化」です。
かつては各県警に一つずつ、自社の看板を掲げた大きな営業所がありましたが、現在はそれらを近隣の主要都市の1つの拠点に大きく集約し、残りの県のMRは原則として「自宅(在宅勤務)」あるいは「外部のシェアオフィス(WeWorkなど)」を出発点として、そこから担当する病院へと直接出向く「完全な直行直帰(リモートベース)」システムが完全に定着し、推奨されています。
所長を含めたメンバー同士の朝礼や夕方・夜の会議や打ち合わせは、Microsoft
TeamsやZoomなどのオンラインツールで完全にペーパーレスで完結します。たまにチームで集まるために出社する際も、オフィスに固定席(自分専用のデスク)は一切存在せず、その日の業務内容(会議が多い日、一人で集中する日、ブレストする日など)に合わせて、カフェのような共用スペースや個室ブースなど、自由に最適な作業場所を選ぶ「ABW(Activity
Based Working)」という新しいオフィスの概念・運用ルールが、ごく当たり前のインフラとして導入されています。
スーパーフレックスが生み出す「個人の圧倒的な裁量」
- ワークライフバランスの飛躍的・劇的な向上: 無駄な出勤の準備や、満員電車での通勤時間、営業所と病院との往復にかかる移動時間が1日あたり数時間単位で大幅に削減された結果、育休明けで時短勤務を選択している女性MRや、親の介護を抱えるミドル世代のMRにとっても、時間や場所の物理的な制約を一切受けることなく、本来のポテンシャル(パフォーマンス)を100%発揮して現場の前線に立ち続けることができる素地が整いました。辞めざるを得なかった優秀な人材を引き留める強力な武器になっています。
- スーパーフレックスタイムのフル活用と自律: 多くの企業が、必ず働かなければならない時間帯(コアタイム)すら完全に廃止したスーパーフレックス制を導入しています。「早朝5時に起きて家でオンラインの学術テストと内勤作業を終わらせておき、昼間は一旦仕事を中抜けして子どもの学校行事や病院のお迎えに数時間行き、夕方から夜にかけて自宅の書斎から重要な医師とのWeb面談(eディテール)を2件こなして1日を終える」といった、一人ひとりのライフステージに合わせた極めて柔軟な働き方(自律型勤務によるタイムマネジメント)が、特権ではなく日常の風景として可能になっています。
グローバル資本が入る製薬各社は、女性の活躍推進や障害者雇用といった多様性の推進に強烈にコミットしています。
特に女性管理職比率の目標を、2030年に向けて現在の数%から一気に「30%〜40%、最終的には50%(男女同数)」にまで強引にでも引き上げる指標を掲げて推進する企業が続出しています。
性差別撤廃の実力主義と、個々の多様なバックグラウンドを尊重・支援する(DE&I)風土への転換が、業績向上に直結するとして重要視されています。
2. リモート環境下の新たな病理:希薄化する「横の絆」と若手の孤立問題
しかし、こうした華々しい効率化や自由度の裏側で、長期間のリモートワーク継続による深刻で重い課題も、各社の人事アンケート等で次々と顕在化しています。
それが「社内コミュニケーションの決定的な希薄化・分断」と「帰属意識の低下」です。
これまでは、夕方に疲れて営業所に帰ってきて、先輩MRの少し愚痴めいた武勇伝を聞いたり、ふとタバコ部屋や給湯室で「あそこの〇〇科の〇〇先生、最近ご機嫌ナナメで全く話を聞いてくれないんですよね」「ああ、あそこは木曜の夕方なら機嫌がいいから攻めてみなよ」といった他愛のない会話(偶発的な雑談)の中から、極めて有益な裏の営業情報交換や、暗黙のスキル伝承(OJT・背中を見て学ぶ文化)が自然発生的に、意識せずとも行われていました。
しかし、一人で自宅の画面に向かうフルリモート下では、明確な目的(用事)を持って意識的にTeams等でチャットや通話ボタンを押さない限り、チームの誰とも一切会話(発声)しない日も普通に発生してしまいます。
特に問題なのが、コロナ禍以降に入社した新入社員や、中途で入ってきたばかりの未経験MRです。彼らを放置してしまえば「先輩の優秀な背中や空気感を見て、営業の勘所を盗む」という手法が完全に機能せず、わからないことを誰に、どのタイミングでチャットして聞けばいいのかすらわからず、自宅で極度の孤立感や、同期と比べて自分が成長できているのかという不安によるメンタル不調を抱えやすい傾向にあります。
3. 中間管理職(マネージャー)に突きつけられる「伴走型リーダーシップ」の試練
この組織の分断の危機を救う現場の要として、現在、営業所長やマネージャーといった中間管理職の役割が、過去数十年の「売上数字の進捗管理と叱咤激励(マイクロマネジメント)」から、「メンバー一人ひとりの心理的安全性(Psychological Safety:誰に何を言っても否定されず安全であるという確信)の担保と、個々のキャリアの伴走・支援(強権的ではない定期的な1on1ミーティング)」へと、180度の大転換を求められています。
見えない相手に対して、オンライン上でカメラ越しに業績だけを数字で詰め寄ったり、サボっていないかを監視するような「古いマイクロマネジメント」はすぐに見限られ、若手・中堅の優秀層から愛想をつかされて離職(競合他社への転職)へと直結します。
そうではなく、業務の隙間に意図的に15分程度の短い面談(1on1)を頻繁にセッティングし、業務面での技術的なサポートのみならず、「将来どんなキャリアパス(マーケティングや教育等)を描きたいか」「プライベートの育児等で抱えている見えない不安はないか」を丁寧に聞き出す「ティーチングではなく、コーチング能力(圧倒的な傾聴力と共感力)」が、これからの次世代を牽引するリーダーには絶対に不可欠な必須スキルとなっています。
「リモートワークの効率性」と「リアルに出社して顔を合わせることで生まれる熱量・セレンディピティ」。この矛盾する二つの要素の最適なハイブリッド(ブレンド)バランスをそれぞれのチーム単位で模索し続けながら、会社に縛り付けるのではなく、どれだけ「社員の自主的なエンゲージメント(会社への愛着と貢献意欲)」を高めることができるか。
働き方改革という単なる制度の「箱」づくりは急ピッチで完了した製薬業界ですが、その箱の中で人の心をどう繋ぎとめるかという「ソフトウェアの改革」が、今後の企業の中長期的な成長力を大きく左右する、最終的な鍵を握っています。